daily 9.5-12 「ワクチン打て」爆弾からの一週間
突然堕ちてきた「ワクチン打て」爆弾。なんのこっちゃだけど…
先日帰りがけに母から「ワクチン打たないの?早く打った方がいいんじゃないの?」と言われた出来事のことだ。
ワクチンを打つか迷っている人、あるいは反ワクチンの人にとってHOTな話題なのかもしれないね。
私の場合は、母からそれまでも何度も言われ、きっぱりと「今は打たない」と反論する時もあれば、なんとなく誤魔化してきた時もあった。
しかし、会社のスタッフが接種し出し、私自身もいつでも予約できる状態において、ついに誤魔化しきれなくなってしまった。
それまでも、それを母から言われるたびに嫌な思いになってきてはいた。
ただ自分の意見は伝えていたつもりだし、感染者数が激下がりしている状況で、完全に心が緩んでいた。
そんな矢先だったから、
「えーーーっ!だから今は打たないって言ってんじゃん!」とびっくりした。
(そう言ったかは覚えてない。)
うまくかわそうとして、
「そんな不安に駆られてばかりだと人生楽しくないよ。もっと楽しむ方を考えたら」
と上から目線な感じで言い返したのを覚えている。
だけど、帰りの車の中で激しい怒りに襲われた。
なんで、わかってくれないの。
わたしは両親が希望することを尊重してワクチンを打つことに反対してないのに。
(リスクもあるから、本当は打たないでほしいと思っている)
どうせ、わかってくれやしない。
わたしのことを恥さらしだと思っているんだ。
※この飛躍ネガティブには根拠となる背景がある
私のスタンスとしては、絶対に打たないとは思っていない。
ワクチンの技術としては本当にすごいものだし、研究者の情熱と血と汗の結晶とも言えるだろう。
「これこそ世界を救うもの」と思っている人たちは多くいる。
しかし…(世界を救うにしても)短絡的に、ではないかという気持ちがぬぐえない。
気候変動に話は飛んでしまうが、プラスティック製品は本当に便利である。
ごみ袋にすれば臭いまである程度防げるし、水を通さないということはなんと優れた素材だろう。
けれどもその便利さに追随して、まるでその辺に生えている草くらいに世に溢れ、マイクロプラスチックの問題やゴミ処理によるCO2排出にまで問題は及んでいる。
10年後、20年後…100年後のことを考えてはいなかったことは一目瞭然だろう。
現に私たちはいま気候変動という顛末を真に受けている。
ワクチンと気候変動を結びつけるのはいささか乱暴だし、こんなことを言って気を悪くする人もいるかもしれない。
ただ、人間の都合で手っ取り早く大量生産されたものを安易に信じられないという私の個人的な思いがある。
もちろん、この騒動は収束してほしいし、ワクチンがその出口の兆しとなっている現在の世の流れは承知している。
わたしは体調が悪くなった時でも薬を極力飲まないスタンスである。
熱が出たときは、ただ寝るし、
鼻水が出るときは、ティッシュ1箱でも2箱でも使い、鼻水を出し切る。
ただ…咳喘息を起こす傾向があり、あまりにも症状が悪化する時は薬に頼る。
しかし、効かないのだ。
ホメオパシーという考え方に出会った30歳過ぎの頃からの話であるが。
※このくだりは長くなるのであらためて。
私の母だったら「意味がわからない」と一蹴されるだろう。
本当は私だってわかってもらいたい。
※ここまで書いて、辛くなってきて突然途切れた。終わり。
daily 9.4 なかなか手強いのだ。
「風呂は命の洗濯よ」と葛城ミサトが言っていたけど、
いやぁーーーーーほんとすっきりした。
すごい浄化っぷりだわ。
まるで、滝行を終えた後のよう。
(筆者は一度バリ島で滝行をしている)
けっこう今日の鬱が手ごわかっただけに、それが抜けた感が大きく感じたのだろう。
9月に入って雨続きで、なかなかこの天気は気が滅入る。
季節の変わり目ってやつだ。
特に今朝は仕事が休みだったこともあり、寝すぎてしまった。
体がだるかった。
気温が急に下がり、体が冷えていた。
体の冷えは心の冷えにもつながるのかもしれない。
風呂入って温まるのも浄化になっているのだろう。
おとといは「切ない」「寂しい」という気持ちが前面に出てきたが、今日は「虚しさ」だった。
これはなかなか厄介や感情だった。
つまらない、なんで私の人生こうなのか、やる気が起きない、面倒くさい、何もかもしたくない・・・・こんな言葉が頭を駆け巡る。
鬱が酷かった半年前くらいは、そうなると何もできなくて、寝てしまうこともあった。
その当時は、寝ることが必要だったのだろう。
けど、今は寝たいわけではなかった。
気分転換をしようとYouTubeを見てみたり試みたがパッとしなかった。
8月振り返りのブログを書かなきゃと思うのに、書く気が全くしない。
後回ししている自分が嫌だと思い、気分はよくならなかった。
お昼に冷凍してあった玄米ごはんとみそ汁を食べて、体が温まるのを感じた。
結局、ブログを書けないまま用事があって家をでることに。
頭の中が「やらなきゃ」という声がうるさいのと同時に、
「でも、これやってどうなるの?」という声も聞こえる。
頭の声で混乱していた。
電車の中はすいててよかった。
甘いものが食べたくなり、用事の前にプリンとコーヒーを食す。
その用事である今日の会合の参加者は私一人だけだった。
体調不良などでほかの参加者は欠席。
まぁそうだよねぇ。わたしもしんどかったし。と思う。
主催の友人とマンツーマンだったのだけど、わたしは彼女にすごく話したいことがあってバーーーーっと喋った。
お互いひさしぶりに色々喋ったな。
わたしはこの時間が欲しかったのだと思った。
そういえば、今朝ある友達のことがすごく気になっていた。
最近LINEがなくって、前はしょっちゅう来てたから、なんか彼女に悪いことしてしまったかなぁと考えていた。
ごみ捨てに行って帰ってくると、彼女からLINEが来てた。
テレパシーじゃないけど、心はつながっているのだなと思った。
そんな友人とのやり取りがあり、心も軽くなったと思いきや。
帰りの電車がダメだった。
8時以降の電車に乗るのは久しぶりだった。
池袋を通ったのだけど、若者がわんさかいた。
居酒屋の横通ったら、みんな飲んでてびっくりした。
緊急事態宣言はもう関係ないのねぇ。
帰りは雨も強まってくるのと同時に心乱れる。
でも、以前と違うのは、夕食食べて飲んで、もう寝る!
としなかったことだ。
(こう書いていると、子供がいるお母さんなら当たり前のことなのに、と自分を責めている)
今日はなんとしてもブログを書いてから寝ようと思った。
それは自我の声ではなかったのだろう。
spritの声に従ったのだと思う。
風呂入ったことも然り。
些細なことだけど、spritの声に従えたということはとても大きいことだ。
浄化の道を歩んでいる、という自信になる。
ということで、本当は書かなきゃと思ってた8月振り返りは後回しになっちゃったけど、これでいいのだーーー。
雨続きだけど、なんとなく心が柔らかくなった写真をカメラロールから。
yokoku 2021.9 切なさを超えてゆけ。そして涙を流してゆくのだろうか。
9月の雨はどうしてこんなにも切ないのだろうか。
虫の音と雨の音が聞こえてくる。
帰り道「ああ、切ないのかも」と意識したら、どうにもこうにも限りなく切なくなった。
高1の頃を思い出す。
何があったわけでもないのになぁ…と考えて歩いていたら、
いろいろ切ない思い出を思い出してしまった。
思い出してまた切なさに浸る。
今日の午後に突然アイツがやってきた。
アイツとは…鬱のことだ。
ネガティブな感情にも怒りだったり、悲しみだったり、寂しさだったり色々あるけど、今日の午後に襲ってきたのは、鬱だった。
きっかけはある人とのLINEのやり取りだったのかもしれない。
食後で、寒かったからかもしれない。
わたしはたったそれだけで、闇に襲われたのかと思うとひどく気が滅入った。
どうしよう…と思ってしまった。
この泥沼から抜けなかったらいやだなと。
どんな感じかというと、絶望的でなんにもしたくないと思う。
強まると死にたくなる感じまでしてくる。
(最近はこのレベルまでは落ちないが)
いわゆる「落ち込む」という誰しもにある症状だけど。
困惑するのは、突然襲ってくることだ。不意打ちに。
本当になんなんだろうと思う。
自分の感情ではなくて、そこら辺に漂っている誰かの鬱に憑りつかれてしまったのではないかと思ったりする。
しんどかった。
なるべく仕事したくなくって、早く帰りたいと思ってた。
コーヒーを飲んだ。いつもは16時に飲むのだけど、15時半くらいに飲んだ。
そしたらスッと抜けた。
なんなんだ!
なんなんだ!!(もう一度言った)
抜けていってくれてほっとした。
コーヒー嫌いの悪霊に憑りつかれてたのかな、ははは。
感情は雲みたいなもので、常に形が変わっている。
感情をなくそうとジタバタすると余計苦しくなるんだけど、あるがままにしておくと、ある時にスッと形を変えて消えていったりする。
それを経験できたことはよかった。
そんなこんなで始まった9月でした、というここまでが書き出し。(長っっ)
昨日、直子さんにこう言われた。
「予告させてね。
これからもっと受け取っちゃうことになるから。
そして受け取ったときは必ず同時にほかの誰かも受け取っているから。
いまはこのことがわからなくても、ああこういうことだったんだ、とわかる経験をするの。
これはね、そういう仕組みなの。」と。
よく意味がわからなくって、ぽかんとした。
奇跡のコースの考え方はこの世の考え方を超えているので、理解するのに時間がかかる。
頭で理解するのではなく、心で「ああ、そうなんだな」と思うようにした。
心がつながっているということを体験したいと思っている自分がいた。
直子さんはこうも言った。
「受け取るのは怖いものね」と。
こんなに受け取りたいと思っているのに、私はどうやら怖がっているようだ。
矛盾した話である。
冷たい雨の音が虫の音はより一層、聞こえてくる。
record 2021.8 宇宙語から始まって山田くんの虜になるまで。その1
堰を切ったようにキーボードを打っている。
それがまるでダンスをしているように気持ちいい。
ああ、わたし文章を書きたかったんだと思う。
というか吐き出したかったのだろう。
どんどん書けるのは、8月にPCを新調したこともある。
キーボードが軽くて快適。
必要なものに投資するのは大切だと思った。
さて、この書いたものをどこで表現するか。
Facebookやnoteだといいねがあることが私を動揺させてきた。
矛盾はしている。
やっぱり読んでほしいと思うし、いいねがたくさんあると嬉しくなるからだ。
「いいね」に翻弄されているのである。
翻弄されるのは窮屈なんだ。
だから本当にわたしの書いたものを読んでみたいと思った人や、なんか知らないけどたまたまクリックしちゃった人に読んでもらえるのなら気楽であって、いま饒舌になっている。
インスタだとたまに全然知らん人からフォロー着くんだけど「わいをフォローして」感が満載の人も中にはいるんだよね。
(わたしがそう感じているだけの話ではありますが)
もちろん、純粋に繋がりたいというエネルギーを感じる人もいて、そういう人とは相互フォローになったりするんだけど。
ああ・・・話が脱線しまくり。
8月の振り返りはまだPCを買ったことしか書いていない(笑)
饒舌を超えて、だらだら喋るおっさんやな。
そう。話を戻すと8月からインスタを始めた。
7月26日の週からのマンダラート朝活(うめちゃん主催ヘブンズメンバー)で、わたしは燻ぶった思いを抱えていた。
何か突き抜けたいのに、閉鎖的な中でジタバタしているような。
そんな時に誰かの魂の思いは揺さぶられる。
それがどんな思いだとしても、魂からの叫びは私の魂に共鳴して何かを揺り動かした。
「本当の自分を生きたい」という叫びだ。
そして、宇宙語を喋ってみようと思った。突如に。
※宇宙語を話すようになった経緯を書くと長くなることに気づいたので、これは後日に。
でも、勇気がいった。
誰にも見られず、聞かれないのにね。
なんか一線を越えてしまいそうで(笑)
宇宙語を喋っている私は完全に変態っぽいからだ。
でも、不幸せな常識人と幸せな変態だったら、私は幸せな変態になりたいと思った。
だから朝活でその姿を見てもらおうと思った。
さらけ出せる仲間がいることは本当にありがたい。
その反応も面白かった。
こうしてブログに書くように心を曝け出すのもしかりだけど、ぽんと人前に投げてみると波紋が生まれる様が妙であるのだ。
「その姿をインスタにあげてみれば?」と提案してくれた。
えーーーーこのメンバーにでも抵抗があったのに。
と思うや否や、私の中にいる宇宙人は喜びの舞を踊っていた。
それでインスタを始めたというのが経緯なのだが、まだ変態を曝け出すことに踏み出せていない。
そもそも、曝け出すことに意味なんかあるのか?
いや、意味は要らないのではないか。そこに投げてみて、動きを見ればいい。
これって、葛藤してる?
山田くんの話は次回。
はじまりなのか
夜の鎌倉にいる。
仕事終わりで、埼玉から鎌倉に向かった。
このところ、悪夢続きだった。
連載モノまで見ちゃったよ。
8/19朝、警察に追われる夢で目覚める。
8/25朝、遂に逮捕される夢で目覚める。
↑こんな感じね。
ドラマかよって感じだよね。
でも、今日は悪夢じゃなかった。
7/5に初めてその人が夢に出てきた。
あー出会ったと思った。
それから、ずった忘れてたけど今日出てきてくれた。
今日は鎌倉の海辺にいる。
海の匂いがする。