ドリームワーク(夜見た夢を探究する)クラスが始まった。

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象徴的なシンボルには普遍的な意味があるとする有名なユング夢分析とは異なる。

自分の夢に対して、分析しない、解釈しない。

その夢に現れてくるものはすべて自分の一部。

その一部になりきることで、自分が気づいていないことに気づく。

創造主の視点を育む。

 

という非常にマニアックなクラス。(だと私は思っている)

 

夢に関心が高いけれど、一方で夢を探求しても何になるんだろう…みたいな思いもあった。

明晰夢を見れるようになったり、予知夢や神のお告げを夢で見れるようになりたいという思いはあるが、そういったものを学ぶクラスでもない。

 

ゲシュタルト的な方法で夢を探究するという訓練が必要になるが、

この探究の仕方が対人関係に対しても、感情の扱い方に対しても、

再現できる。

 

勉強の仕方を知っている人は、他の学習も応用できたり、

スポーツの鍛錬を積んできた人は、他のスポーツや芸事でも応用出来たりという理論と同じ。

 

悪夢は見たくないけど、楽しい夢や、お告げ的な夢を見たいと思う。

けれど、悪夢も自分の一部なんだということにちょっとした衝撃だった。

 

まぁそうだよね。わたしがこの夢を見ているんだから。

でも、そのことを認めたくない。

こんなにも恐れているということを。

 

しかしこのことは、

奇跡講座でいう自我(ego)と戦わず、排除せず、そのまま共にいる。

スピリット(聖霊)の視点で見直してみる。

 

という日常わたしが行っているワークに繋がると思ってゾクゾクした。

 

夢を道具として使うだけなんだ。

夢は生きていて、変わってゆく。

そして、その夢を感じ、視点を変えることで、

身体の感覚がかわっていく。

 

身体の感覚が変わってゆくらしいのだ!

少しずつ、これは体験していっている。

 

ゲシュタルト療法の創始者パールズによれば、

夢の方が、現実世界で起きていることよりも本質的なのだそう。

おおお。

 

それも「心の目でみる」という私が目指している状態に繋がることなのかも…と思ってドキドキする。

 

わたしが今日扱ったのは、よく見る古い大きな家(おばあちゃんち?ヘブンズ?)にいる夢。」

 

そこに登場した部屋、ふすま、廊下、Aさん、洗濯物、蛇口、洞窟…すべて自分の一部なんだそうだ。

 

わーーーーーーーすごい。。。。これは。。。。

 

わかる人にはわかると思う。

と言いつつも、わたしの解釈を載せているかもしれない。

 

探究は始まったばかり。

「わたしは何も知らない」

ここから始まる。

 

※わたしは起きる1時間前に目覚ましをかけ、一度覚醒する。

二度寝した時の方が、夢を見やすいからだ。

起ききって動いてしまうと一気に忘れてしまうので、布団の中で見た夢を反芻する時間が今はどうしても必要。

夢日記をつけるのが面倒くさい。手帳に1行かける欄があるので、そこにメモだけしている現状。いまのところそれでよいかなぁ。