2021.9.17現在 コロナワクチン接種に対しての思い①
一度、まとめておこうと思う。
いざ、書こうとすると気が重いけど。
ワクチン接種にどうしても踏み切れない。
とはいうものの、打とうと決めた時期もあった。
けれど、打とうと思った次の日に偶然にも岡田正彦氏の著書の要約に出会い、共感してしまった。
そうしたら踏み切れなくなってしまった。
なるべく本やYouTubeなど読まないようにしてきた。
大事な判断を洗脳のように他人の思考で決めてしまうのは嫌だったからだ。
私は反ワクチンではない。
以前も書いたが、このワクチンを開発した研究者たちにはリスペクトの思いもある。
日本じゃ到底このスピードで開発はできない。
その一方でスピードがあるということは合理的すぎるのだろう、とも思う。
このワクチンのおかげでたくさんの命が救われたという。
しかし、このワクチンによって命を落とした人もいる。
(因果関係は認められないけども…)
・・・優先すべきは命の数ですか?
そんな気持ち悪さも残る。
話をもとにもどすと、
私はワクチンを打っていない選択をしていることで「反ワクチン」の思想を持っていると思われてしまうんではないかということをすごく怖がっている。
偏見かもしれないが「反ワクチン」の人たちの中には、「コロナはただの風邪」「インフルエンザや肺炎より圧倒的に死者が少ないから怖くない」という人もいる。
けど、ただの風邪だからマスクを外そう。
ワクチンを打つのはやめよう、という言い分にはいやいやいや…と思う。
私は、コロナは怖い。
症状の複雑さや感染の広がり方の質を見ても、ただの風邪とは到底思えない。
(私の記述で、反ワクチンの人がマスクを外そうと言っているような、いっしょくたにしてしまう感じを持たれたらごめんなさい。)
もちろん、ただの風邪だと思う人の言い分があるから、それを否定はしない。
でも、私の心はざわっとすることは事実だ。
先月、隣町に住む叔父がコロナで亡くなった。
救急搬送をどこも受け入れられず、たらいまわしの上、救急車の中で亡くなったという。
私の両親も、叔父はもちろんのこと叔父の家族とも会えていない。
叔父は今年の初めにコロナにすでにかかって、その後退院した。
そして、ワクチンも打っている。
叔父は高齢ではあるし、すでに肺炎を患ったりしていたので、仕方ないのかなとは思う。
ワクチンを打ちたくない人と一口に言っても、これまた様々な理由があるだろう。
副作用が怖いから、という声もよく聞く。
怖いけど、接種したという声もよく聞く。
私は今回の新しいワクチンそのものにまだ信頼をおけない。
なんて疑り深いのだろうとも、思う。
ワクチンだけでなく根本的に薬全般に頼りたくないと思っている。
ただ、一刻も早く手術をしなければならない、とか点滴を打たなければという病を患ったらそれに従う。
実際に急性扁桃腺炎になった時、食事はおろか水も飲めない程に扁桃腺が腫れあがった。即入院して点滴を打ち、どれだけ助かったと思ったか…
でも、通常は薬になるべく頼りたくない。
その経緯は次回につづく。